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久し振りに別荘に泊まった。
S3棟(僕が住んでいる棟)の棟長、カマさん宅に「積立金・管理費」を持っていくと、「あんた、東京に出稼ぎに行ってるんだって」、「よく働くね〜エ」と激励を受ける。
隣のコバさんに手土産をあげる、棟のゴミ捨て当番(2週間に1回)を代わってもらっている。
「昨日は遅かったね」、新年会を終わって別荘に何時帰ったかも知っている。アッ怖!
僕の下の階のトノさん宅にも手土産(東京で売っている黒ベイ)、奥さんが出てきて「あんた、昨日の昼も防具担いで出かけたね、焼津かい?」「でも元気だね〜エ」、3月中旬まで戻らないので「宜しくお願いします」と頼んだ。
別荘で久し振りに家事をやった。
机や棚の雑巾掛け、綿ボコリがいっぱい
掃除機かけ
風呂や洗面所の床マットを干す
残っていた玉ねぎ、キューリ、ニンジンで酢の物
朝飯作り
古新聞回収日だったので倉庫(1Fに専用の一坪倉庫)から出す
布団の上げ下ろし
生ゴミだし
家事労働で主婦は一日平均3000〜5000歩も歩いたことになる。
別荘にテレビが無い、実際、見ている暇もない、気がつくと22時前には寝ている。
100歳以上の人は23000人、何と女性が85%、家事労働で体を動かし、座ったり立ったりの屈伸運動が多いこと、献立を考えるからボケない、段取りを考えるから脳が活性化する。
ある奥さんが言っていた
旦那が会社に行っていた時は、本当に幸せだった。
定年後は何も出来ない、どこに行く?、いつ帰る?、デパートに買い物にも一人で行けない。
仕方なく一緒に行った。
一番混んでいる売り場に連れて行き「旦那をまくの」って。
また、あるおばあちゃんが言っていた
おじいちゃんに先立たれ「福祉センター」に頻繁に通ってくるので、職員が「犬とか猫とか生き物を飼ってみたら?、寂しくないですよ」、その回答が「生き物はたくさん、おじいちゃんで懲りてる」って。
家事は良い運動になるし、頭の体操にもなるよ。
別荘に一日戻っただけで「ひしひし」と感じた。
S3棟(僕が住んでいる棟)の棟長、カマさん宅に「積立金・管理費」を持っていくと、「あんた、東京に出稼ぎに行ってるんだって」、「よく働くね〜エ」と激励を受ける。
隣のコバさんに手土産をあげる、棟のゴミ捨て当番(2週間に1回)を代わってもらっている。
「昨日は遅かったね」、新年会を終わって別荘に何時帰ったかも知っている。アッ怖!
僕の下の階のトノさん宅にも手土産(東京で売っている黒ベイ)、奥さんが出てきて「あんた、昨日の昼も防具担いで出かけたね、焼津かい?」「でも元気だね〜エ」、3月中旬まで戻らないので「宜しくお願いします」と頼んだ。
別荘で久し振りに家事をやった。
机や棚の雑巾掛け、綿ボコリがいっぱい
掃除機かけ
風呂や洗面所の床マットを干す
残っていた玉ねぎ、キューリ、ニンジンで酢の物
朝飯作り
古新聞回収日だったので倉庫(1Fに専用の一坪倉庫)から出す
布団の上げ下ろし
生ゴミだし
家事労働で主婦は一日平均3000〜5000歩も歩いたことになる。
別荘にテレビが無い、実際、見ている暇もない、気がつくと22時前には寝ている。
100歳以上の人は23000人、何と女性が85%、家事労働で体を動かし、座ったり立ったりの屈伸運動が多いこと、献立を考えるからボケない、段取りを考えるから脳が活性化する。
ある奥さんが言っていた
旦那が会社に行っていた時は、本当に幸せだった。
定年後は何も出来ない、どこに行く?、いつ帰る?、デパートに買い物にも一人で行けない。
仕方なく一緒に行った。
一番混んでいる売り場に連れて行き「旦那をまくの」って。
また、あるおばあちゃんが言っていた
おじいちゃんに先立たれ「福祉センター」に頻繁に通ってくるので、職員が「犬とか猫とか生き物を飼ってみたら?、寂しくないですよ」、その回答が「生き物はたくさん、おじいちゃんで懲りてる」って。
家事は良い運動になるし、頭の体操にもなるよ。
別荘に一日戻っただけで「ひしひし」と感じた。
俺は創業者だった。
自分の責任で会社を興し、全てが判っていた。
特に金の使い方も知っていたし、創業者ゆえ自由にも出来た。
神田明神近くに剣道場があったので買い取り、自宅の裏に移築した。
息子も剣道を始め、社員にも運動をやらせるために道場を作った。
当時大塚は土地も安く、道場の運営費もさほど高くなく、今の様なサッ
カー、テニス、野球、バトミントンなどスポーツも多様化しておらず
会社で剣道を奨励したら社員もやってくれた。
今は社業に専念する時、過去に引きずられ剣道を残そうとするな。
社屋を作ると会社は傾く、と言われる、時代の流れが猛スピードの今
社屋に剣道場を作ろうなどと絶対考えるな。
何らかの変化で、社屋を売る時、道場が在ったのでは値が安くなる。
道場のために建築費も高くなる。
大勢の一般の方にも野間道場を利用して頂いた、残してほしいと言う
気持ちは有り難いが、経営、将来の危険への備え、社屋の転用を考え
ると道場は無用、大会でも開き「最後」として頂いたら良い。
「野間道場」と言う同好会を作り、何処かの公共の体育館を借り
続けたら如何だろう、その場合会社で少し位は援助出来るだろう。
九段下の武道館小道場は早朝から借りれるよ、あすこだと皆が集まり
易い。
再度言う。
社業と剣道、道場を切り離せ、社屋に道場を作るな。
僕が清治さんだったら「こう」考える、その発想は
長年の動物的「経営」勘。
自分の責任で会社を興し、全てが判っていた。
特に金の使い方も知っていたし、創業者ゆえ自由にも出来た。
神田明神近くに剣道場があったので買い取り、自宅の裏に移築した。
息子も剣道を始め、社員にも運動をやらせるために道場を作った。
当時大塚は土地も安く、道場の運営費もさほど高くなく、今の様なサッ
カー、テニス、野球、バトミントンなどスポーツも多様化しておらず
会社で剣道を奨励したら社員もやってくれた。
今は社業に専念する時、過去に引きずられ剣道を残そうとするな。
社屋を作ると会社は傾く、と言われる、時代の流れが猛スピードの今
社屋に剣道場を作ろうなどと絶対考えるな。
何らかの変化で、社屋を売る時、道場が在ったのでは値が安くなる。
道場のために建築費も高くなる。
大勢の一般の方にも野間道場を利用して頂いた、残してほしいと言う
気持ちは有り難いが、経営、将来の危険への備え、社屋の転用を考え
ると道場は無用、大会でも開き「最後」として頂いたら良い。
「野間道場」と言う同好会を作り、何処かの公共の体育館を借り
続けたら如何だろう、その場合会社で少し位は援助出来るだろう。
九段下の武道館小道場は早朝から借りれるよ、あすこだと皆が集まり
易い。
再度言う。
社業と剣道、道場を切り離せ、社屋に道場を作るな。
僕が清治さんだったら「こう」考える、その発想は
長年の動物的「経営」勘。
今朝は4時頃に一度目が覚めてしまった。
北窓を開けて寝たので、夏は涼しかった風が、今朝は毛布を必要と
するほど冷たく感じた。
夕方から漁協近くの小学校へチャンバラの稽古に出かける。
東京に帰る用事があり、稽古を最近二度ほど休んだ、久しぶりに
皆に会う。
別荘への帰り、山の側を通る道を選ぶ。
清風万里の秋(せいふうばんりのあき)
車の窓から入る風、虫の鳴き声、山の緑、どれを取っても秋を
思わせる。
この句の意味は
今朝起きてみると、清々しい風が秋の到来を知らせるように
吹き渡っていった。
別荘への帰り道は、正にこの句の気分、秋を自然の中で久しぶりに
感じた。
この漁村に住んで6ヶ月が経った。
北窓を開けて寝たので、夏は涼しかった風が、今朝は毛布を必要と
するほど冷たく感じた。
夕方から漁協近くの小学校へチャンバラの稽古に出かける。
東京に帰る用事があり、稽古を最近二度ほど休んだ、久しぶりに
皆に会う。
別荘への帰り、山の側を通る道を選ぶ。
清風万里の秋(せいふうばんりのあき)
車の窓から入る風、虫の鳴き声、山の緑、どれを取っても秋を
思わせる。
この句の意味は
今朝起きてみると、清々しい風が秋の到来を知らせるように
吹き渡っていった。
別荘への帰り道は、正にこの句の気分、秋を自然の中で久しぶりに
感じた。
この漁村に住んで6ヶ月が経った。
美味しいものに遭遇した時、それを食べて「感動」した時に
使う表現。この頃、そんな表現を使う食べ物に出会っていない。
「おっ、ハコフグが入っているぞ」
「前の船頭の、新ちゃんが好きでよく持って帰ったな」
「首ちゃん、ハコフグ食ったことあるか?」
「これ食べられるんですか?」
目玉と首、それに尾びれしか動かせない、骨板でおおわれた四角形。
腹の所に出刃を刺すが硬くてなかなか刺さらない、「ぶっす」と
やっと1センチ、僕の小出刃が入る。
皮と言うか、甲羅のような皮を切ろうとするが出刃が進まない。
調理バサミを取り出し、バリバリっと真っ二つ、言われた通り内臓を
取り出し、肝を水洗いして戻し、皮付きで焼く。
「皮がアルミホイルの代わりになるからな」
「肝が美味しいぞ」
「少し味噌を入れるといい」
こんなアドバイスを思い出しながら魚焼き器で8分、グラタンの様に
表面が少し焦げて出てきた。岐阜から取り寄せた「素麺」をゆでて、
昼飯とする。
「ほんとうに美味しい」
焼けた肝を身に絡ませて食べると「さらに美味しい」
お裾分けした「オカトノさんの奥さん」、夕方あった時「死ぬかと
思うほど美味しかった」と言って、お返しに「豆腐と梅干」をくれた。
何処かで「ハコフグ」に出会ったら食べてみるといい。
本当に「頬っ辺」が落ちますよ。
箱河豚の説明。
日本の分布は岩手県から九州南部まで、それと台湾にも分布する。
沿岸や内湾の岩礁域、サンゴ礁域、海藻中に生息し、単独で行動する。
ハコフグはその名の由来どおり、変形した硬い骨板状の鱗で出来た
「甲羅」のような箱の中に「からだ」が入っていて、横断面はほぼ
四角形をしている。
泳ぎは下手、魚にあるまじき特性、理由はその硬い鎧にある。
大型漁がかじりついても噛み切れない、食べても喉を詰まらせる。
ハコフグ類は皮膚にパフトキシンという粘液毒をもっている。
調理をしていると刺激されるのか表面から粘液が出てきた。
観賞魚として飼っても他の魚を一緒に入れとハコフグの猛毒で全滅
するので注意を要する。
皮膚には毒があるが、身や内臓には毒は無いので食用となる。
そのまま直火で焼くと割れ目が出来る、そこから味噌を入れ更に焼く。
(僕が出刃で半分に開かなくてもよかった)
味噌を入れずに割れ目から身をはいで生醤油で食べる。
特にわたが美味しい。
(肝=ワタはとらふぐに白子を食べているような感触)
フグ目ハコフグ科の所属で「フグ」ではない。
使う表現。この頃、そんな表現を使う食べ物に出会っていない。
「おっ、ハコフグが入っているぞ」
「前の船頭の、新ちゃんが好きでよく持って帰ったな」
「首ちゃん、ハコフグ食ったことあるか?」
「これ食べられるんですか?」
目玉と首、それに尾びれしか動かせない、骨板でおおわれた四角形。
腹の所に出刃を刺すが硬くてなかなか刺さらない、「ぶっす」と
やっと1センチ、僕の小出刃が入る。
皮と言うか、甲羅のような皮を切ろうとするが出刃が進まない。
調理バサミを取り出し、バリバリっと真っ二つ、言われた通り内臓を
取り出し、肝を水洗いして戻し、皮付きで焼く。
「皮がアルミホイルの代わりになるからな」
「肝が美味しいぞ」
「少し味噌を入れるといい」
こんなアドバイスを思い出しながら魚焼き器で8分、グラタンの様に
表面が少し焦げて出てきた。岐阜から取り寄せた「素麺」をゆでて、
昼飯とする。
「ほんとうに美味しい」
焼けた肝を身に絡ませて食べると「さらに美味しい」
お裾分けした「オカトノさんの奥さん」、夕方あった時「死ぬかと
思うほど美味しかった」と言って、お返しに「豆腐と梅干」をくれた。
何処かで「ハコフグ」に出会ったら食べてみるといい。
本当に「頬っ辺」が落ちますよ。
箱河豚の説明。
日本の分布は岩手県から九州南部まで、それと台湾にも分布する。
沿岸や内湾の岩礁域、サンゴ礁域、海藻中に生息し、単独で行動する。
ハコフグはその名の由来どおり、変形した硬い骨板状の鱗で出来た
「甲羅」のような箱の中に「からだ」が入っていて、横断面はほぼ
四角形をしている。
泳ぎは下手、魚にあるまじき特性、理由はその硬い鎧にある。
大型漁がかじりついても噛み切れない、食べても喉を詰まらせる。
ハコフグ類は皮膚にパフトキシンという粘液毒をもっている。
調理をしていると刺激されるのか表面から粘液が出てきた。
観賞魚として飼っても他の魚を一緒に入れとハコフグの猛毒で全滅
するので注意を要する。
皮膚には毒があるが、身や内臓には毒は無いので食用となる。
そのまま直火で焼くと割れ目が出来る、そこから味噌を入れ更に焼く。
(僕が出刃で半分に開かなくてもよかった)
味噌を入れずに割れ目から身をはいで生醤油で食べる。
特にわたが美味しい。
(肝=ワタはとらふぐに白子を食べているような感触)
フグ目ハコフグ科の所属で「フグ」ではない。
この頃、大昔の本の現代訳本を書店で目にする。
吉田兼好の「徒然草」をパラパラっと見た。
大勢の前で話す時、人はあがるもの、また本当に興味を持って聞いて
くれているか不安になるもの、目線を真っ直ぐにし、「一人に話しか
ける」様にすると「あがらず」、その人の反応を見ながら面白い話を
展開すればよい、と書いている。
げっ、680年前に、今の「スピーチ本」に書かれている心得が兼好
によって説かれている。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」、何処かで聞いたことがある。
出典を調べると、1000年前の「碧巌録」と出てくる。
この解説本も、懐かしい「岩波文庫」で手に入る。
中国の仏教書で、臨済宗の最も重要な書と「はじめに」の欄に書いて
ある。
この碧巌録に
好事も無きには如かず(こうじもなきにはしかず)
と言う言葉がある。
その意味は「良いこともないに越したことはない」、僕らは普段良い
ことは重なるほうが良いと考えるが、それとは全く「逆」の発想で
新鮮味を僕に与えた。
ほしかった車が買えた、これは好事、良いことなのだ。
その車で事故を起こすと、「あの車に乗らなかったら」と折角の好事
を災いに考えてしまう。
人は「車が買えた」好事を単純に喜べばいいものを、好事が「重なる」
だろうと「欲」や「執着心」が芽生える。
この「欲」や「執着心」が増すと
他人との間にいざこざが起きたり
被害をこうむったり
と災いになる。
碧巌録が言うように「好事はないほうが良い」とも考える。
心に広がりが出る、「好事不如無」と言う言葉。
吉田兼好の「徒然草」をパラパラっと見た。
大勢の前で話す時、人はあがるもの、また本当に興味を持って聞いて
くれているか不安になるもの、目線を真っ直ぐにし、「一人に話しか
ける」様にすると「あがらず」、その人の反応を見ながら面白い話を
展開すればよい、と書いている。
げっ、680年前に、今の「スピーチ本」に書かれている心得が兼好
によって説かれている。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」、何処かで聞いたことがある。
出典を調べると、1000年前の「碧巌録」と出てくる。
この解説本も、懐かしい「岩波文庫」で手に入る。
中国の仏教書で、臨済宗の最も重要な書と「はじめに」の欄に書いて
ある。
この碧巌録に
好事も無きには如かず(こうじもなきにはしかず)
と言う言葉がある。
その意味は「良いこともないに越したことはない」、僕らは普段良い
ことは重なるほうが良いと考えるが、それとは全く「逆」の発想で
新鮮味を僕に与えた。
ほしかった車が買えた、これは好事、良いことなのだ。
その車で事故を起こすと、「あの車に乗らなかったら」と折角の好事
を災いに考えてしまう。
人は「車が買えた」好事を単純に喜べばいいものを、好事が「重なる」
だろうと「欲」や「執着心」が芽生える。
この「欲」や「執着心」が増すと
他人との間にいざこざが起きたり
被害をこうむったり
と災いになる。
碧巌録が言うように「好事はないほうが良い」とも考える。
心に広がりが出る、「好事不如無」と言う言葉。

